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| チドリ Plover チドリ科の鳥の総称。世界各地の水辺に60種以上がみられ、大きくチドリ類、ムナグロ類、タゲリ類にわけられる。同じく水辺にすむ近縁のシギ類とくらべると、くちばしが短く、その先端がふくらんで硬い。 羽色は、シギ類が色・模様とも比較的地味なのに対し、チドリ科の鳥は鮮やかなものが多い。じっとしていたかと思うと、すばやく次の獲物へとはしり、各種の小さな無脊椎動物を捕食する。群れをつくるが、繁殖期をのぞいて、シギ類のような大群にはめったにならない。 ほとんどは水辺にすむが、内陸の畑や平原などにすむものもある。熱帯にすむものは留鳥だが、南北の寒冷地に繁殖するものは渡り鳥である(→ 動物の移動)。地表か浅いくぼみに巣をつくり、小石、貝殻、草などをしくこともある。 北方の種は、1回にふつう4個の卵をうむが、熱帯の種ではそれよりも少ない。 チドリ属の鳥が約30種ともっとも多く、ほとんどが胸の上部に黒い首輪をもつ。日本では、コチドリ、イカルチドリ、シロチドリの3種が繁殖している。 コチドリは全長約16cm、おもに夏鳥として渡来するが、越冬するものも多い。背は茶色で下面は白く、顔が黒く目のまわりは黄色い。九州以北の川原などで繁殖する。イカルチドリはコチドリに似るが、やや大きく、顔の黒色や脚の色、目のまわりの黄色があわい。 とぶと、翼にあわい色の線がでる。シロチドリは色があわく、胸上部の輪は中央で切れている。南北アメリカでもっともよく知られるのはフタオビチドリで、おもに内陸にすみ、この種だけは首輪が2重になっている。 フエコチドリはロッキー山脈の東側から大西洋沿岸、南はバージニア州にかけて生息するが、五大湖周辺では数が少なく、絶滅があやぶまれている。全長約16cm、うすめの羽色は日当たりのよいかわいた砂地では完璧な保護色となる。 ミカヅキチドリも同じくらいの大きさで、こちらの羽色はぬれた砂地によくなじむ。アラスカとカナダ北部で繁殖し、春と秋、南アメリカの南部にかけて渡りをする姿がよくみられる。 これとよく似たハジロコチドリはおもにユーラシア北部に営巣するが、カナダ東部の北極圏内およびグリーンランドに巣をつくるものもあり、この集団はヨーロッパまでわたっていく。全長約19cmとミカヅキチドリよりやや大きく、胸上部の輪の幅がひろい。 メキシコ湾沿岸と北アメリカ西部一帯では、フエコチドリに外見のよく似たシロチドリがみられる。シロチドリはさらに南アメリカからユーラシア全土にかけても分布している。上記以外の種はすべての大陸で繁殖する。 ムナグロ属のうちの3種は渉禽(しょうきん)類(→ 鳥の「環境への適応」)の中でもとりわけ渡り性が強い。繁殖期になると、3種とも下面が黒くなり背面に斑紋(はんもん)がでるが、下面の黒い羽毛は繁殖期の後に生えかわる。ユーラシアに生息するダイゼンは、全長約33cmで、上面に黒と白のまだら模様があるが、冬には少し黄色がかる。 ほかの2種のムナグロ類は、上面に明るい黄色と黒の斑紋がある。ムナグロは全長約26cmで、ひじょうに長距離の渡りをする鳥として知られる。 北極圏の営巣地から南アメリカの最南端まで、往復1万3000km、そのうちカナダ東部のノバ・スコシアから南アメリカ北東部までの3860kmは、まったく陸地のない大西洋の上をこえていく。 アジアでも同様で、シベリアやアラスカの夏のすみかをとびたつと、何の目印もない太平洋をわたって毎年同じ日本などの島々へたどりつき、そこで越冬する。全長28cmとやや大型のヨーロッパムナグロは、大西洋をこえてカナダのニューファンドランド州に渡来することがある。 シロチドリは三重県の県鳥である。 分類:チドリ目チドリ科。コチドリの学名はCharadrius dubius。イカルチドリはC.placidus。フタオビチドリはC.vociferus。フエコチドリはC.melodus。ミカヅキチドリはC.semipalmatus。 ハジロコチドリはC.hiaticula。シロチドリはC.alexandrinus。ダイゼンはPluvialis squatarola。ムナグロはP.dominica。ヨーロッパムナグロはP.apricaria。 "チドリ" Microsoft(R) Encarta(R) 97 Encyclopedia. (C) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.より |
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| そして、福岡県古賀市千鳥 | ||
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| やはり、水辺が多いようです。 |
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千鳥ケ池は 『筑前国続風土記』 には 「席内の境内にある大池なり。村より八町許北、海浜より五町許南にあり。花見松原の東南也。池の広さ南北二百間、東西広き所五十間、せはき所三十間、其深き事七尋あり。 鮒多し。大さ尺余、其味尤美にして、国中第一也、此池は田をひたすつつみには非ず。」とある。その水が尽きることがないのは「大根川上流から地下水が伏流し、千鳥ケ池に湧出すると考えられる。」のだそうである。(『福岡県地名大辞典』角川書店) |
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いつの時代だったのかはっきりわかりませんが、この池のほとりに伝吉と千鳥という仲の良い若い夫婦が小さな家を建てて住んでいました。千鳥は、宗像郡神興村字冠(かもり)から嫁いで来た人で、このあたりきっての美人だとの評判が高い人でした。 毎日の炊事や畑仕事にも手足の荒れは見せず、透き通るほどの白い肌や長い豊かな黒髪、また小ぎれいに整えた身だしなみは村の人たちのうらやむところでもありました。 ところが伝吉には、村の人たちにこれほどまでにうらやまれる嫁をもっていながらなぜか割り切れない思いがありました。それはと言えば、 「外から帰ってくる時には、表の戸を開ける前に、必ずエヘンとせき払いをしてから入ってくださいな。」 と千鳥に言われていたからでした。それでも初めのうちは、伝吉も千鳥の願いどおりに、エヘンとせき払いをしてから家に入っていましたが、たび重なるにつれて、その思いはつのるばかりです。 ある日、うっかりせき払いを忘れ家の中へ入る途中で思い出しあわててエヘンとせき払いをした時の千鳥の驚きようと言ったら、それはそれは大変なものでした。 それからと言うもの、伝吉が外出するたびに千鳥は、 「あなた、お願いですからお帰りの時は、戸を開ける前に必ずエヘンとせき払いをして入ってくださいな。」 と、何度も念を押すようになりました。伝吉は、 「こんなに何度も念を押すのには何か理由があるに違いない。もしも千鳥に何か悩みがあるのなら、放っておけまい。ひとつここはこっそり家に帰って千鳥の様子を見ることにしよう。そうすれば、私の割り切れない思いもすっきりするだろう。」 と考えるようになりました。 さて、いつものように伝吉は千鳥に見送られて、畑仕事へと出かけて行きましたが、今日こそ千鳥の秘密を解き明かすのだと思うと、一日中何も手につかないありさまです。普段より長く感じられた一日の畑仕事をやっと終えて家路についた伝吉は、家が近くなると 足音を忍ばせて、戸口ヘと近よって行きました。そっと戸を開けて中に入ると、伝吉は用心深く千鳥がいるはずの奥の部屋をのぞき込みました。するとどうでしょう。最愛の千鳥の姿はどこにも見えず、千鳥にかわって部屋にいるのは、なんと大柁です。 大蛇は火のような赤い舌をペロペロ出し、黒く光る鱗の蛇身をくねらせながら、身を繕っています。伝吉は腰をぬかさんばかりに驚きましたが、あとのたたりを考えると恐ろしくなり、大蛇には気づかれないように、ふるえる足で家の外へと逃げ出しました。 戸外へ抜け出た伝吉は、しばらく息を整えていましたが、やがて大きくエヘンとせき払いをすると、そ知らぬ顔で家の中へ入っていきました。 伝吉が家に入ると、 「お帰りなさいませ。今日も一日ご苦労さまでした。さぞお疲れになったことでしょう。」 と、千鳥がいつものように、やさしい言葉をかけてくれます。家の中も大変物静かで、先ほどのすさまじい妖気は、全く感じられません。伝吉は、いよいよ千鳥に気づかれてはならないと思い、平静を装いますが、やはり心の動揺は隠しきれません。 やがて自分を見る伝吉の定まらぬ視線と蒼白い顔色で、自分の秘密を知られたことを感じた千鳥は、悲しみのあまりたちまち大蛇となって屋根をつき破り、家の前の池に身を沈めてしまいました。 その後大蛇となった千鳥は、この池の主になったと言われています。 千鳥の里、現在の福間町東福間団地の小高い所には、千鳥様の墓と呼ばれる小さな古びた墓石が残っています。福間町誌によればこの墓は、身投げした千鳥の霊を冠(かもり)の、村人たちがまつったものだと言われています。 そしてその名前から、身投げした池を千鳥ケ池と呼ぶようになったのだそうです。 −『郷土のものがたり第二集』−企画編集 福岡県総務部広報室 |
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